走馬灯

片田舎の平凡な主婦がアメリカで弁護士になるまでの軌跡

1988年

私の母校はフロリダ半島の西海岸に位置し、フロリダで最も歴史のあるロースクールである。

規模が小さいのでクラスの仲間同士も最初の数日で顔みしりになり、互いのファーストネームで呼び合うようになる。

教育内容は充実していて、毎年フロリダ州司法試験合格率をゲインズビルにあるフロリダ州立大学と1、2を争っているため入学のハードルも高い。

ロースクールの入学はLSATといわれる、知能と、読解力と論理的思考能力を試すテストと大学時代の成績、それから大学の指導教官3名からの推薦状の総合評価で決められる。

私のLSATの準備は、1988年、アメリカでの生活が予想された時点で、心斎橋の紀伊国屋で販売されていた過去3年の問題を収録した問題集を購入することから始まった。

ちょうど正月の帰省中だったため、私は父の相手で花札をし、負けが込むと母や元夫に代わってもらい、自分の部屋でLSAT問題集を広げて勉強し母の小言を頂戴した。

母は私がアメリカに行くことにより元カレとよりを戻すのではないかと勘繰っていたが、別れてからさすがに4年以上もたつと私にとって元カレなど名前を聞けば思い出す程度の存在になっていた。